私は『雨の日』が割合好きです。…というより、かなり好きです。 二十年ほど前、夭折の詩人、八木重吉の『雨』という詩を知ってから、ますます『雨』に引かれるようになりました。この詩に描かれた『雨』は、幽かな音しか立てない、穏やかな雨です。当に『春の雨』の描写です。
雨 八木 重吉
雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ
あのおとのようにそっと 世のためにはたらいていよう
雨があがるように しずかに死んでゆこう
雨は、万物の生命の源となる、水の恵みを与えてくれます。 激しくあっても、穏やかであっても、他に媚びず、自分のやらねばならない事を恬淡とやっているような姿が、好きなのです。
八木重吉は、29歳で亡くなります。同じ29歳でこの世を去った童話作家に新美南吉がいますが、この二人の創作活動は、ごく短いものに終わってしまい、作品はそれほど多く残されていません。八木重吉は、いっとき英語の教員として、旧御影師範学校(後の神戸大学教育学部−いまは、この学部も、もうない)で教鞭をとっていました。 この詩に詠われているのは、注意を払うか、たまたま気づいた人だけが、感じることのできる『雨』です。 世の中には、必ず必要なのに、誰しもが気づくわけではないものが、たくさんあります。 人知れず降り始め、やがて、人知れず上がり、しっとりと濡れた跡だけが、雨が降った事実を知らしめます。
これまでもそうであったように、これからもそんなふうに生き、そんなふうに生を終えられたらいいなと思っています。 寺岡
追伸 今日、この写真の場所を、3年生が“花道”として歩み、巣立って行きます。前途洋々たる諸君に、幸せあれ!
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