明石市立高丘中学校
行事

3月1日(木)
記念の碑(14)≪フェニックス≫ 他
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 昨年の9月7日に、4回生の卒業記念植樹として校門付近に植えられ、現在は中庭に移植された≪フェニックス≫を取り上げた時に少しだけ触れた、中校舎南側に植わる、我が校で一番“目立つ木”です。
 写真?(複写)は、植樹当時の≪フェニックス≫です。写真?は、現在の≪フェニックス≫。この31年間の成長がよく分かると思います。
 写真?からは、昭和62年3月に植えられたものだと言うことが分かります。12回生が卒業していくときです。
 またこの写真には、寄贈された方の個人名が書かれているようなのですが、悔しいことに解読できません。何の記念の為に、寄贈された≪フェニックス≫なのでしょうか。

 こうして、昔の事を調べていくと、いろいろ気になることが浮かび上がってきます。
 中庭は、かつて『花壇』として整備されていました。何回も、市の花壇コンクールで、優秀な評価をいただいています。写真?(複写)をご覧ください。こういう中庭の『花壇』の写真は、平成11年:24回生のアルバムに写っているのが最後です。平成12年:25回生のアルバムには、中庭は『花壇』ではなく『駐車場』として写っています。ひょっとして、“耐震補強工事”の為か、中庭の南西の隅に“給水塔”を設置した為に無くしたのか、これもまた、詳しいことが分かりません。

 各学校には、以前『焼却場』がありました。我が校にも、焼却設備があり、用務員さんが定期的に自校から出たゴミを燃やしていました。灰の処理が、とっても大変でした。平成3年:16回生のアルバムに、焼却設備が写っていますが、その時のアルバム以外では確認できていません。

 2月21日に載せた、開校当時の“記念碑”を扱った記事をもう一度振り返ってみますが、中校舎南側に建てた白亜の記念碑は、平成8年:21回生のアルバムには、確実に写っているのですが、その翌年、平成9年:22回生のアルバムには写っていないように思えます。はっきりと『無くなっている』と分かるのは、平成12年:25回生のアルバムです。
 このように、歴史を振り返るには、はっきりとした証拠になる映像と、やはり人間の語り部が必要となってくるものです。

 卒業アルバムや、学校に残された一葉々々の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われることがあります。

 以前からずっと在ったものが、今もそこに在る。
 以前には在ったものが、今、そこには無い。
 今そこに在るものが、将来は無いかもしれない。
 今そこに無いものが、将来は有るかもしれない。
 一枚の映像が、語るものは、いつも鮮烈で、しかも重たい。
寺岡

 付記:卒業生保護者の皆さまからいただいたテントなのですが、新たに、22回生の方々からいただいたもの(写真?)が、出て来ました。この分だと、もっと前の卒業記念のテントも、発見されるかもしれません。



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