長らくサボっていた、“記念の碑”シリーズを、最後まで続けて行きたいと思います。
今回のシリーズは、“周年行事”の都度、我が校の一部として加わっていったものを、紹介していきます。
“碑”という文字は、石偏です。
古来、短い人の生の長さに比べ、“石”は、永遠不滅の物と思われたのかも知れません。しかし、遠い昔に建てられた“碑”の“現在”を知る私たちは、“石”で作られた“碑”でさえも、長い年月を経ると、ボロボロの存在になることを知っています。
前回の“記念の碑”シリーズの中でも述べましたが、開校1年目の記念となるものが、我が校には、ほとんど現存しないのです。
平成30年になってからの第一回目のコラムに載せた、学校北側の敷地、のり面の≪ソメイヨシノ≫は、ある方から、開校当時から植えられていたものである、とうかがいました。強いて言えば、この≪ソメイヨシノ≫こそが、開校当時からずっと我が校を見守ってくれている存在なのかもしれません。
しかし、今日載せる写真(古い卒業アルバムからの複写です)には、ほとんど開校当時から在り、しかも、現存していない記念碑(?)が写し出されています。
写真①: 中校舎南側に立っていた、記念碑です。校舎側から南向きに撮っているこの写真では、逆光の為シルエット状態になっていて、実際の形はよく分かりませんね。まだ、この頃には、≪フェニックス≫の木はありません。
写真②: 同じ記念碑を南側から、今度は中校舎をバックに撮っています。この写真には、実際の形状がよく写っています。
どなたか、これが一体何だったのか、お知らせ願えませんか? 当時の生徒・先生たちが、『何か記念に…』と設置したように思えてなりません。
ただ、写真②の右下には、『開校記念…』という立札が見えます。これは、この写真では切れていて見えませんが、『開校記念植樹』と書かれた立札の一部です(この記念碑を指しているわけではありません)。しかし、どんな樹木が植樹されていたのかは、今となっては分かりません。跡形もなくなっているからです。
写真③・④をご覧ください。これらは、①・②の記念碑が立っていた後、現在の状況を撮った写真です。長い間、この四角形のセメントで固められていた“跡”が、何の為にあるのか疑問でした。そして、卒業アルバムを整理していてやっとわかりました。この記念碑の“土台”の“跡”だったのです! いつか、このモニュメントを撤去した時の名残だったのですね。
なお、この“記念碑”は、平成8年:21回生の卒業アルバムまでは、完全に写っている姿が確認できます。平成12年:25回生のアルバムには、すでに撤去された“跡”が写っています。
一枚の映像は、完全ではなくとも、後世に色々なものを伝え、イマジネーションを膨らませられる材料を与えてくれます。
寺岡
今回のシリーズは、“周年行事”の都度、我が校の一部として加わっていったものを、紹介していきます。
“碑”という文字は、石偏です。
古来、短い人の生の長さに比べ、“石”は、永遠不滅の物と思われたのかも知れません。しかし、遠い昔に建てられた“碑”の“現在”を知る私たちは、“石”で作られた“碑”でさえも、長い年月を経ると、ボロボロの存在になることを知っています。
前回の“記念の碑”シリーズの中でも述べましたが、開校1年目の記念となるものが、我が校には、ほとんど現存しないのです。
平成30年になってからの第一回目のコラムに載せた、学校北側の敷地、のり面の≪ソメイヨシノ≫は、ある方から、開校当時から植えられていたものである、とうかがいました。強いて言えば、この≪ソメイヨシノ≫こそが、開校当時からずっと我が校を見守ってくれている存在なのかもしれません。
しかし、今日載せる写真(古い卒業アルバムからの複写です)には、ほとんど開校当時から在り、しかも、現存していない記念碑(?)が写し出されています。
写真①: 中校舎南側に立っていた、記念碑です。校舎側から南向きに撮っているこの写真では、逆光の為シルエット状態になっていて、実際の形はよく分かりませんね。まだ、この頃には、≪フェニックス≫の木はありません。
写真②: 同じ記念碑を南側から、今度は中校舎をバックに撮っています。この写真には、実際の形状がよく写っています。
どなたか、これが一体何だったのか、お知らせ願えませんか? 当時の生徒・先生たちが、『何か記念に…』と設置したように思えてなりません。
ただ、写真②の右下には、『開校記念…』という立札が見えます。これは、この写真では切れていて見えませんが、『開校記念植樹』と書かれた立札の一部です(この記念碑を指しているわけではありません)。しかし、どんな樹木が植樹されていたのかは、今となっては分かりません。跡形もなくなっているからです。
写真③・④をご覧ください。これらは、①・②の記念碑が立っていた後、現在の状況を撮った写真です。長い間、この四角形のセメントで固められていた“跡”が、何の為にあるのか疑問でした。そして、卒業アルバムを整理していてやっとわかりました。この記念碑の“土台”の“跡”だったのです! いつか、このモニュメントを撤去した時の名残だったのですね。
なお、この“記念碑”は、平成8年:21回生の卒業アルバムまでは、完全に写っている姿が確認できます。平成12年:25回生のアルバムには、すでに撤去された“跡”が写っています。
一枚の映像は、完全ではなくとも、後世に色々なものを伝え、イマジネーションを膨らませられる材料を与えてくれます。
寺岡