さて、一旦中断させていただいていた“記念の碑シリーズ”を続けて行きましょう。
5回生の“校歌額”までは、その存在が分かったのですが、6・7・8回生の、記念になる碑は見つからないのです。どこかに埋もれているのかも知れません…。
そして、この9回生。
うかっとすると見えにくく、見落としてしまうところに、プレートが埋め込まれています。プレートの写真は、コントラストと明るさに、修正を加えています。
設立当時のプレートの文字は、10回生の卒業アルバムで確認すると“金ピカ”でしたが、今は、黒ずんで目立たなくなってしまっています。しかし、目を凝らすと、しっかりと読むことが出来ます。
これは、3回生が寄贈した“校訓碑”の土台を新たに造り直したものです。“校訓碑”は、3回生設立時にも土台付でしたが、何らかの理由で造り直す必要があったのでしょう。そこで、この“碑”は、3回生・9回生合作の“記念の碑”となったのです。
離れた年代が寄贈したものが、一つになっている、何とも微笑ましい姿だと思います。
その頃の高丘中学校は、どんどん生徒数が増え続け、8回生が卒業する時には、卒業生が1,000人を突破します。そして、2,000人を突破するのは、早くもそれから3年後、11回生が卒業する時です。そして、ピークである14回生の時(平成元年3月)には、11クラス、446名の卒業生を出します。平成29年度、本年度の全校生が404名ですので、いかに多くの生徒が学んでいたかがお分かりいただけるというものです。
寺岡
5回生の“校歌額”までは、その存在が分かったのですが、6・7・8回生の、記念になる碑は見つからないのです。どこかに埋もれているのかも知れません…。
そして、この9回生。
うかっとすると見えにくく、見落としてしまうところに、プレートが埋め込まれています。プレートの写真は、コントラストと明るさに、修正を加えています。
設立当時のプレートの文字は、10回生の卒業アルバムで確認すると“金ピカ”でしたが、今は、黒ずんで目立たなくなってしまっています。しかし、目を凝らすと、しっかりと読むことが出来ます。
これは、3回生が寄贈した“校訓碑”の土台を新たに造り直したものです。“校訓碑”は、3回生設立時にも土台付でしたが、何らかの理由で造り直す必要があったのでしょう。そこで、この“碑”は、3回生・9回生合作の“記念の碑”となったのです。
離れた年代が寄贈したものが、一つになっている、何とも微笑ましい姿だと思います。
その頃の高丘中学校は、どんどん生徒数が増え続け、8回生が卒業する時には、卒業生が1,000人を突破します。そして、2,000人を突破するのは、早くもそれから3年後、11回生が卒業する時です。そして、ピークである14回生の時(平成元年3月)には、11クラス、446名の卒業生を出します。平成29年度、本年度の全校生が404名ですので、いかに多くの生徒が学んでいたかがお分かりいただけるというものです。
寺岡