車のフロントガラスが、ここ二日連続、びっしょりと朝露に覆われています。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、日中はまだまだ少し暑いと感じるのですが、季節の移ろいを実感できる現象です。
最近、すっかり“鳴く虫”の、主役が交代してしまいました。
おおざっぱにいうと、蝉類から蟋蟀(こおろぎ)類へ、ですかね。
また、昼間鳴く虫から夜鳴く虫へ、ともいえます。(尤も夏の盛り、蝉は、夜中じゅう鳴いていますが。)
体育大会の頃までは、まだ≪ミンミンゼミ≫の声が聞えていました。この文章を書いている9月26日は、細々とではありますが≪ツクツクホウシ≫の鳴き声を、まだ聴くことが出来ます。何年前だったかは忘れてしまったのですが、最長10月16日まで≪ツクツクホウシ≫が鳴いていた年がありましたが、それにしてもこの一週間程での、季節の進み方の速さは、目を見張るものがあります。
少し前の写真ですが、この≪クマゼミ≫は、力尽きて倒れ、蟻の貯蔵食料へとなっていくところです。まる一日もかからず、綺麗に後始末がされることでしょう。
残酷?
…この営みに、目を背けて欲しくはないのです。
たまたま、この写真の場合は、人目に付くところで繰り広げられているから、そう感じることがあるにしても、自然界の中では、普通の光景です。私たち“生物”は、生まれたからには、いつかは必ず死んでしまいます。また、その中でも“動物”は、生きている限り、他の生物の生命を奪い、その生物が蓄えた“栄養”を搾取していく宿命を背負っています。
しかし、いったん自らに死が訪れれば、これまで自分がしてきたことの“逆”を、受け入れなければならないと言うことです。これを、昔から“自然に帰える”と表現をしたのでしょうね。
普段は意識していない、ある昆虫の“死”を見つめることで、“生きていく”ことの意味を考えたひと時でした。
寺岡
最近、すっかり“鳴く虫”の、主役が交代してしまいました。
おおざっぱにいうと、蝉類から蟋蟀(こおろぎ)類へ、ですかね。
また、昼間鳴く虫から夜鳴く虫へ、ともいえます。(尤も夏の盛り、蝉は、夜中じゅう鳴いていますが。)
体育大会の頃までは、まだ≪ミンミンゼミ≫の声が聞えていました。この文章を書いている9月26日は、細々とではありますが≪ツクツクホウシ≫の鳴き声を、まだ聴くことが出来ます。何年前だったかは忘れてしまったのですが、最長10月16日まで≪ツクツクホウシ≫が鳴いていた年がありましたが、それにしてもこの一週間程での、季節の進み方の速さは、目を見張るものがあります。
少し前の写真ですが、この≪クマゼミ≫は、力尽きて倒れ、蟻の貯蔵食料へとなっていくところです。まる一日もかからず、綺麗に後始末がされることでしょう。
残酷?
…この営みに、目を背けて欲しくはないのです。
たまたま、この写真の場合は、人目に付くところで繰り広げられているから、そう感じることがあるにしても、自然界の中では、普通の光景です。私たち“生物”は、生まれたからには、いつかは必ず死んでしまいます。また、その中でも“動物”は、生きている限り、他の生物の生命を奪い、その生物が蓄えた“栄養”を搾取していく宿命を背負っています。
しかし、いったん自らに死が訪れれば、これまで自分がしてきたことの“逆”を、受け入れなければならないと言うことです。これを、昔から“自然に帰える”と表現をしたのでしょうね。
普段は意識していない、ある昆虫の“死”を見つめることで、“生きていく”ことの意味を考えたひと時でした。
寺岡