1月17日午前5時46分。27年前のその日、当時住んでいたマンションで激しい揺れを経験した。その瞬間は、ダンプカーが建物に突っ込んだか、ひょっとして飛行機が落ちてきたのではないかと疑ったほどの衝撃だった。何回かの突き上げるような縦揺れと「ガンッガンッガンッ!!」という大きな音、そのあと何秒間かの強い横揺れが起き、キッチンの物が割れる音がした。とっさに妻と当時6か月だった長女の上にかぶさって、「大丈夫や!大丈夫や!」とわめいていたのを思い出す。
電気は点かず、状況がわからなかったので、明るくなるのを待って当時の勤務校へ向かった。信号はことごとく消えており、ドライバーは譲り合いながら交差点を通過した。学校の敷地には大きなひび割れが何か所もあり、建物も同様のダメージを受けていた。
東灘に住んでいた先生と連絡が取れないということで、教頭先生が原付バイクで訪ねていった。どこもかしこも建物が壊れ、火事も起きていた。道路は大渋滞。何時間もかけてたどり着いたそうだ。幸い命に別状なかったが、お家は全壊。よく助かったなという様子だったと聞いた。
震災を経験した世代がだんだん減っていく。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「天災は忘れたころにやってくる」。あの日の記憶を風化させないために語り継ぎ、防災についてしっかり考えたい。
犠牲になられた6437名(行方不明3名含む)の方々に心より哀悼の意を表します。
校長室の窓
校長室の窓2022年1月17日(月)震災27年
更新日:2022/01/17 18時21分
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