ブックボランティア読み聞かせ
9月11日(水)地域や保護者の方が参加してくださっているブックボランティアによる絵本の読み聞かせが ...
139年、13代成務天皇の時代に創建。明石市内最古の歴史を誇る。海の神・少童海神(わたつみのかみ)が林崎沖の巨石「赤石」に現れたが、翌年の波風で海に没したことから、丘に祠を建てて祀ったのが始まりと伝える。毎年、終戦記念日に慰霊祭が行われる。社殿脇の桜の枝ぶりは見事で見応えがある。
護国寺密蔵院といい、延喜4年(904)に観賢僧正により創建され、応永20年(1413)に僧運公が中興。近くの8カ寺の親寺として格式の高いお寺。油掛地蔵も祀られ、墓地に茶碗屋の墓石や美人画家・寺島紫明の墓石などがある。毎年8月23日に盆踊大会が開かれる。
海門山宝蔵寺(本尊毘沙門天)、通称「毘沙門さん」。密蔵院の末寺として創建。室町時代・応永3年(1396)のこと、漁師が夢の中で毘沙門天からのお告げに従って海中に沈む毘沙門天像をモリで突いて引き揚げ、お堂を建てて像を安置。このお堂が宝蔵寺だといわれる。
室町時代、播磨の赤松氏が砦を築いたのにはじまるといわれる。秀吉配下・高山右近が入り(天正13年 1585)、西国大名を牽制するため船上城を改築し、城下町の整備も行った。城はほぼ2町四方で3重の天守を備えていた。キリシタン大名・高山右近は秀吉のキリシタン禁止令で明石から追放された。2年足らずの在住であった。元和3年(1617)信濃松本城主・小笠原忠政(忠真)が城主になり、船上城に入り新城・明石城を築き、約30年続いた船上城は廃城になった。
平成18年(2006)の発掘調査で、奈良時代末から平安時代にかけての土抗や溝が発見された。そこから多量のイイダコ壺とともに、須恵器の杯や高杯・壺などが出土。かつてのこの辺りは、明石川の河口付近に形成された砂州の背後の「潟」になっていたとされ、古代の港もこの遺構の近くにあったものと考えられている。
林小学校校庭に立つ。明治29年(1896)、藤原繁蔵・中谷捨吉・吉田太右衛門)を中心に開発。
戦後は林崎漁業組合直営で各町交替で出漁。しかし昭和30年代に漁獲高の減少などから、巾着網による出漁はなくなった。
林の漁業は、古くから播磨灘を中心に、沿岸漁業を営んできている。特に明石タイ・明石タコさらに明石ノリの名声を全国に高め今日の発展を見るに至っている。
この海の幸の恩恵に感謝し、今後の繁栄を祈念するために供養塔が建てられている。
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